実家の猫が今年で5歳になるんだけど、調べたら人間で言うところの45歳に相当するらしく、悲しい気持ちになった。

 はじめて猫がうちに来たのは僕が20歳のときで、まだ生後一ヶ月かそこらの小さな子猫だった。耳だけが大きくて、身体は掌に載せられるくらい小さかった。声も弱々しくて、目を離した隙に潰れてしまいそうな存在の儚さにとてつもない不安を感じたことを今でも覚えている。

 僕は21歳のときに実家を出て、今に至るまで一人暮らしを続けている。うちの猫が5年間生きてきた中で、一緒に暮らしていられたのはたったの1年半だけだ。大好きで大切な猫なのに、それだけしか一緒にいてやれなかった。僕には僕の人生があり、自分にとっては最良の選択をして今こうして暮らしているはずなんだけどれども、それでももっと猫と一緒にいてやりたかったという後悔に押しつぶされそうだ。

 たまに実家に帰ったときなんかには、ぼんやりとテレビを観ていると膝の上に載ってくるその仕草だとか、ソファーの隣で「早く撫でろ」と急かすその表情や、他の家族には見せない色々な面を見て、愛しさと申し訳なさでいっぱいになる。

 いつのまにか人間でいうところの中年にまで年を取っていたうちの猫。時間の流れというものを久々に痛感した。猫に限らず、これからこういうことが沢山自分の周りで起きるんだろう。家族や、友人や、恋人や、好きな人や、好きだった人や、嫌いな人や、嫌いだった人。皆年を取る。本当にうんざりする。明日とか、来週とか、来年とか、そんなもの来てほしくないなと思う。否応無しに押し寄せてくる未来に対して、子どもみたいに駄々をこねていたい。嫌だ嫌だ、そんなのは嫌だ。25歳になっても、そんなことを思う。四半世紀も生きていてこの様だ。

 それでも何とか生きていくんだろうな。色んなことを忘れたり、知ったりしながら。来年から忙しくなるけど、実家に帰って猫と戯れる時間くらいは作らなくちゃ。